[[画像:250px-Stalingrad.jpg|right|ドイツ軍]]'''第二次世界大戦'''（'''だいにじせかいたいせん'''、World War II）は、[[1939年]] - [[1945年]]にかけて、世界の主要国が二つの陣営に分かれて戦争を行なった人類史上二度目の[[世界大戦]]と云われる戦争のことである。

[[1939年]][[9月1日]](現地時間)の[[ナチス・ドイツ]]の[[ポーランド]]侵攻をきっかけとして、のちに、[[イギリス]]・[[フランス]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ソビエト連邦]]・[[中華民国]]などが[[連合国]]、ドイツ・[[イタリア]]・[[大日本帝国|日本]]などが[[枢軸国]]といった同盟関係を持って主要列強が衝突した。

このうちアジア・太平洋地域における戦局、すなわち日本が米英蘭に対して戦端を開いた[[1941年]][[12月8日]]（日本時間）から、日本が無条件降伏することを発表した[[1945年]][[8月15日]]までの間の、日本と連合軍諸国との戦争は、[[太平洋戦争]]と呼ばれる。

[[1931年]]の[[満州事変]]から[[日中戦争]]いわゆる[[1945年]]日本降伏までの[[十五年戦争]]など、連合国参戦以前の枢軸国による戦争やソビエトの周辺国侵攻は、一般には第二次世界大戦には含まれない。

==大戦の前夜（ベルサイユ体制）==
===世界=== 
[[第一次世界大戦]]後の秩序は[[パリ講和会議]]において結ばれた[[ベルサイユ条約]]に基づく[[ベルサイユ体制]]という列強の秩序と[[アメリカ合衆国大統領|アメリカ大統領]][[ウッドロウ・ウィルソン|ウィルソン]]の理念によってもたらされた[[民族自決]]そして[[国際連盟]]に求められた。

====新たな植民地獲得====
第一次世界大戦の主要戦勝国は日本を除き、米国に多額の債務を抱えることとなった。[[1929年]]、債権国アメリカから始まった[[世界恐慌]]はソビエト連邦を除く列強の経済に大きな打撃を与えた。列強はその経済状態を打開するために[[植民地]]を用いた。植民地を持つ列強は自国と植民地による排他的な経済圏を作るという経済措置を施し、植民地を持たない列強は新たな植民地を求めるべく行動することとなった。前者はイギリスによるスターリング・ブロック、フランスによるフラン・ブロックであり、後者は日本による中国大陸、イタリアによる[[エチオピア]]への進出である。

====石油資源を巡る思惑====
第一次世界大戦時に萌芽していた兵器は[[内燃機関]]の発達と共に急激に進化した。兵器の動力が内燃機関化していくに伴い、それに用いるための[[石油]]資源の確保は列強にとって死活問題となり、石油資源を持つ国家がそれを外交手段として用いることとなるのである。そしてこの石油産出地の獲得と自国の備蓄量が資源を持たざる国家にとって戦争の開始時期を決める大きな要因となった。

当時の主な産油地域としてはアメリカ、ソビエト（バクー）、オランダ領インドネシア（ボルネオ）があげられる。ドイツはルーマニアのプロエステ油田の石油資源に頼っている状態であった。

====海軍軍縮の破棄====
海軍の軍備拡大は各国にとって経済的に大きな負担であり、海軍軍縮は当時の列強にとって避けることのできない大問題であった。英・米・日を中心とする海軍軍縮は主力艦艇に関するう[[ワシントン海軍軍縮条約|ワシントン会議]]に始まり、補助艦艇に関するロンドン会議を経る。この間、各国は海軍休日ともいわれる日々を送るのであるが、それは1934年の日本による条約破棄の通告によって終わりを告げる。無条約時代となり、再び建艦競争の時代となった。建造能力において各国の差は大きく、日々広がる格差の拡大も又、戦争の開始を決める大きな要因となった。

===欧州===
戦勝国アメリカは、ヨーロッパ世界が戦場となっている間に世界の工場として活動し、未曾有の戦争景気を迎えていた。そしてそのことが後に世界恐慌から始まる世界の混乱の始まりであった。そのアメリカでは[[ハーバート・フーヴァー|フーヴァー]]にかわり[[フランクリン・デラノ・ルーズベルト|ルーズベルト]]が大統領に選ばれた。ルーズベルトは参戦をしないことを公約の一つとして掲げ、三選をはたした（アメリカが不況から脱出したのは第二次世界大戦開始後である）。

戦勝国フランスは第一次世界大戦において西部戦線の主戦場となり国土は荒廃し、膨大な損害を出した。そのため第一次大戦による被害の総てをドイツに賠償金として負わせようとした。そして[[普仏戦争]]によって失われた土地アルザス・ロレーヌだけにとどまらず、1922年にはルール地方にも進駐した。その結果ドイツ経済はそれまでに進んでいたインフレーションから破滅的なインフレーションに陥ることとなる。

戦勝国イタリアは経済が悪化し、政情不安に陥っていた。[[ベニート・ムッソリーニ]]率いる[[ファシスト党]]が権力を得て、反対勢力を排斥していくのに長くはかからなかった。

敗戦国ドイツ（[[ワイマール共和国]]）は多額の賠償金負担に苦しんでいた。深刻な[[インフレ]]に陥り、市民生活が圧迫される中、ナチス（[[国家社会主義ドイツ労働者党]]）の[[アドルフ・ヒトラー]]が人々の支持をつかみ台頭していった。ドイツはファシズムへの道を歩み、[[1933年]]、ヒトラーは首相に就任。全権委任法（国会の承諾がなくてもヒトラーが自由に立法できる法律）を制定、ワイマール憲法を停止させた。翌年、ヒトラーは[[ドイツの大統領]]・[[首相]]・ナチス党首を兼ねた「ドイツ第三帝国総統」に就任。[[1935年]]、ヒトラーは[[ドイツ再軍備宣言|再軍備]]をする。

戦勝国イギリスは第一次世界大戦の反動で平和の継続を求め、ドイツに対しては[[宥和政策]]を取ることに終始していた。そのために、[[1935年]]3月のヒトラーによる再軍備宣言後、ドイツの軍事力強化に対して強硬措置はとらず、むしろ同年6月には英独海軍協定を結んだ。その後もドイツの軍備拡張への対応が遅れていたイギリスは[[ネヴィル・チェンバレン]]政権下においては軍備を整える時間稼ぎのため[[ミュンヘン会談]]に代表される宥和政策を取り続けた。

[[スペイン内戦]]は第二次世界大戦への兵器の実験場の様相を呈した。ここにおいてドイツは自国の軍隊・兵器の能力を図ることが出来た。

[[1938年]]に[[ドイツ]]は[[オーストリア]]を併合。その前にはイタリアとともに[[国際連盟]]を脱退し同盟（ベルリン-ローマ枢軸）関係を結んでいた。ドイツ民族の地域を併合していく先は最終的に東プロイセンとの間にあり、ダンツィヒを含むポーランド回廊に向けられることとなる。[[ミュンヘン会談]]の合意を反故にされたイギリス・フランス両国はここに至り、ドイツとの対決姿勢をみせることになる。

* 欧州の国家間の条約
** イギリス・フランス対ポーランド…相互援助条約
** ドイツ対ポーランド…不可侵条約（1939年4月28日、破棄）
** ドイツ対ソビエト連邦…[[独ソ不可侵条約|不可侵条約]]（1939年8月23日、調印）

=== 東アジア ===
* 第一次世界大戦と日本の中国への要求

第一次世界大戦という東アジア地域での欧州勢力の空白期間は日露戦争後の経済の危機状況から脱するためには非常に有利に働くこととなる。ドイツ占領地帯の獲得と中国への21ヶ条要求などはこの時期であるからこそできたことであり、中国における抗日運動の火種となった。又、[[シベリア出兵]]における日本の行動によりその領土拡大の野心が疑われた。第一次世界大戦が終結し欧州経済が平穏を取り戻すとそれまでアメリカと同様に戦争景気を謳歌していた日本の経済は衰退。シベリア出兵による出費、[[関東大震災]]がそれに追い討ちをかけることとなった。
   
日本は[[満州事変]]などそれまでの結果として[[中国]]領土を占領し、[[満州国]]を建国していた。これに不満を持つ[[中華民国]]が[[上海租界]]を攻撃したこと（[[第二次上海事変]]）により[[1937年]]に[[日中戦争]]が勃発した。それが世界大戦へと広がるのは、以下のような理由がある。   
* 日本が、中国との停戦交渉に失敗し、戦争の泥沼にはまっていたこと。   
* 日中戦争を打開しようと（陸軍が主になって）結んだ[[日独伊三国軍事同盟|三国同盟]]が世界を二分したこと。   
* 三国同盟を真に受けて海軍が対英米戦争計画を練り上げたこと。   
* フランス降伏と三国同盟に伴う日本の[[仏印]]進駐などに対抗してアメリカ、イギリス、[[オランダ]]が[[鉄]]や[[石油]]などの輸出を禁止していったこと。（[[ABCD包囲網]]）
* ドイツのソ連侵攻と、その電撃的な大戦果に幻惑されたこと。   
自給自足体制確立のため石油などの資源を求めた日本は[[東南アジア]]各国へと活路を見出そうとしたのである。

* [[ノモンハン事件]]

* 東アジアの[[植民地]]

== 大戦の発端 ==   
[[1939年]]9月のドイツによる[[ポーランド電撃戦|ポーランド侵攻]]をきっかけにフランスとイギリスがドイツに[[宣戦布告]]、ソビエト連邦も[[独ソ不可侵条約]]における密約に基づいてポーランドを東方から侵攻し、ヨーロッパ主要国が戦争状態となった。（ソビエト連邦によるポーランド侵攻についてはフランス・イギリスは宣戦布告には至っていない）。

== 大戦の経過 ==
=== 欧州・北アフリカ ===
*[[1939年]]、[[ナチス・ドイツ]]により西方から、[[ソビエト連邦]]より東方から侵略され、ポーランドは降伏（[[ポーランド侵攻]]、政府はパリに亡命）。フランス・イギリスはドイツに宣戦布告。ソビエト連邦、フィンランドと開戦（「冬戦争」、又は「[[第一次ソ・フィン戦争]]」）。この行為により、ソビエト連邦は[[国際連盟]]から除名処分となる。
*[[1940年]]、ドイツ、[[デンマーク]]・[[ノルウェー]]を占領。この作戦遂行のために大型艦艇の多くを損失。[[西部戦線]]では長い沈黙の後、ベネルクス諸国を含めフランス東部を[[電撃戦]]にて制圧（[[ナチス・ドイツのフランス侵攻]]、オランダ政府はイギリスに亡命）。休戦条約を結んだ。イギリス軍・フランス軍は重装備を放棄するもダンケルク撤退（ダイナモ作戦）によって精鋭兵を維持。イギリスに渡ったフランス軍は[[シャルル・ド・ゴール]]を中心に[[自由フランス]]として抗戦を継続。対フランス戦の末期にイタリアも正式に参戦。イギリス上陸作戦の前哨戦として始まった対英航空戦（[[バトル・オブ・ブリテン]]）が行われる。フィンランド、ソビエト連邦と講和。
*[[1941年]]、イギリスが[[ジブラルタル]]と[[アレキサンドリア]]を東西の拠点とし地中海を確保して、侵攻を企画していたのに対して（チャーチルは「ヨーロッパの下腹」と言っている）、ドイツは、イタリアの支援のために、バルカン半島（[[バルカン半島の戦い]]）、北アフリカに侵攻（Cf.[[クルセーダー作戦]]）し勢力範囲を広めていった。それまで不可侵条約を結んでいたソ連に対して戦火を開く（[[独ソ戦]]）。この年の末に日米が開戦し、アメリカが連合軍として参戦。米英[[大西洋憲章]]発表。
*[[1942年]]のドイツの対ソビエト連邦作戦、'''ブラウ'''攻勢中に起こった[[スターリングラード攻防戦]]、北アフリカの[[エル・アラメインの戦い]]における相次ぐ敗北により、ドイツは攻勢の限界を見ることとなる。
*[[1943年]]、クルスクを巡る戦いにおいてドイツは持てる予備兵力の大半を使い果たし、東部戦線ではこののち攻勢に廻ることはなかった。この年は連合軍による地中海方面への全面攻勢の年であり、[[クルスクの戦い]]の時、連合軍はイタリア領土（シシリー島）への上陸作戦（[[ハスキー作戦]]）を行ったのである。イタリアは連合軍に対して休戦。[[カサブランカ]]・[[カイロ (都市)|カイロ]]・[[テヘラン]]にて連合国首脳による会議が行われる。
*[[1944年]]、連合国軍は欧州戦線の中核であるフランスに対しての大陸反攻作戦オーバーロード（[[ノルマンディー上陸作戦]]）を行い、西部戦線が再び構築された。同時期に東部戦線においてソ連軍により[[バグラチオン作戦]]が行われ、この戦いにおいて虚を突かれたドイツ[[中央軍集団]]は崩壊し、ソ連軍はドイツ国境付近まで迫ったのである。西部戦線において[[バルジの戦い]]で最後の反攻を試みた後、ドイツ軍は東西から攻勢を受け次第に撤退を余儀なくされる。
*[[1945年]]、ソ連軍にベルリンを包囲され、追い詰められたヒトラーは[[1945年]][[4月30日]]に自殺、[[5月8日]]にドイツは無条件降伏し、ヨーロッパでの戦争は終結する。[[ヤルタ会談]]・[[ポツダム会談]]が行われる。

=== 東アジア ===
[[1941年]]末、[[真珠湾攻撃]]、[[マレー沖海戦]]に始まり、緒戦において[[フィリピン]]、[[ジャワ島]]・[[スマトラ島]]・ボルネオ（[[カリマンタン島|現カリマンタン]]）島、[[マレー半島]]において優勢に戦局を進めた。その後の方針について陸海軍にて意見が分かれたが、米海軍による突然の[[東京初空襲]]により、米機動部隊を制圧するためミッドウェー攻略（占領を含む）が決定される。この[[ミッドウェー海戦]]において[[航空母艦|正規空母]]4隻を失ったため、攻勢戦力の大半が失われた。

この後、戦いはマッカーサーが企画した「飛び石作戦」により[[島嶼]]を奪い合うものとなり、特にソロモン群島を巡る戦いにおいて艦艇・飛行機の消耗戦となった。物量と補給、技術の差が勝敗の鍵になったといわれる。

アメリカが超長距離爆撃機（[[B-29 (爆撃機)|B-29]]）を開発している情報を入手し、本土防衛のために必要な地域とその防衛のため、[[絶対国防圏]]を設けたが、その最重要地点であった[[サイパン]]は[[マリアナ沖海戦]]の後、連合軍に占領され、本格的な本土空襲の脅威を受けるようになる。

[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]の威信をかけたフィリピン反攻作戦が行われ、それを阻止するために行われた一連の海戦、[[レイテ海戦]]により[[連合艦隊]]は事実上、壊滅する。この戦いにおいて初めて[[特別攻撃隊]]が組織される。フィリピンを失ったことにより、南方からの資源輸送の安全確保は不可能となり日本の戦争継続能力が途切れるのは時間の問題となった。

中国戦線においては、北京、上海を占領し、中華民国政府の首府南京をも陥落させたが、蒋介石は首府を重慶に移し、共産党とも連携して徹底した反日戦を展開した。特に共産党軍はゲリラ戦争に優れ、絶対数の少ない日本軍を翻弄し、日本軍は各地で寸断され、泥沼の消耗戦を余儀なくされた。

日本は傀儡政権を立てて中国人を懐柔しようとしたが、いくつかの占領地政策のまずさから、却って反日感情が激化した。

この段階においてなお日本が戦争を継続し続けたのは国体護持に固執したこともあるが、それは同時に連合国が日本に突きつけた'''無条件降伏'''という条件が大きい。このような無制限な権限を持つ降伏条件はかつてないものであり、もともとナチス・ドイツに対しての報復的なこの条件が日本の降伏を遅らせることとなる。

連合軍は次に沖縄に戦線を進め、この地を占領した。

そのような状況の中で、なおも将来的な国家、民族の存続を模索しつづけた結果調停が遅れ、[[ポツダム宣言]]の提示後も降伏をしなかった。[[ハリー・S・トルーマン|ハリー・トルーマン]]大統領はソ連を牽制する目的も込めて史上初の[[原子爆弾]]の使用を決定。この原子爆弾投下（[[リトルボーイ]]、[[ファットマン]]）と、[[日ソ中立条約]]を結んでいた共産主義国ソ連参戦の衝撃により日本は同年[[8月14日]]ポツダム宣言を受諾、翌[[8月15日]]の[[玉音放送]]をもってポツダム宣言の受諾を表明し、ここに第二次世界大戦は終結した（ソ連はその後[[樺太]]・[[千島]]を占領）。

==大戦中の会談==
*[[大西洋憲章]]
*カサブランカ会談
*カイロ会談
*テヘラン会談
*ヤルタ会談
*[[ポツダム会談]]

== 大戦の結果（ヤルタ体制） ==   
ファシスト・イタリアが倒れ、ドイツ、日本が降伏し、世界で'''6千万人'''といわれる犠牲者を出した。[[広島市|広島]]、[[長崎市|長崎]]で史上初めて原子爆弾が使われた。第一次大戦の戦後処理の反省に基づいて、敗戦国には賠償要求せず国家を再建するためヨーロッパでは[[マーシャルプラン]]が作られ、[[日本]]ではマッカーサー元帥を最高司令官とする[[GHQ]]による米軍主導の戦後処理が行われた。

その一環として、国際軍事裁判所条例に基づき、ドイツ・日本の戦争犯罪を追及するため[[ニュルンベルク裁判]]、[[極東国際軍事裁判]]（東京裁判）が開かれた。

この裁判では、連合軍の行為については審理対象となっていないため、戦勝国側が日本に対して戦時中行なった[[国際法]]違反の民間人大量虐殺（原子爆弾の被害、[[東京大空襲|東京]]・[[大阪大空襲]]等）についての責任追求は行われていない（[[カチンの森事件]]については議論がなされている）。ソビエト連邦による、ポーランド、フィンランドに対しての侵攻も不問とされている。

全体主義国家と自由主義国家の争いは前者が解体されることによって終末を迎えたが、今度は戦争によってそれまで隠されていた[[共産主義]]と[[資本主義]]との闘争が前面に出てくることになる。ヤルタ体制の中で東欧諸国は否応なく鉄のカーテンの向こう側である共産主義体制に組み込まれることとなり、ドイツという共通の敵を失ったソ連とアメリカは、その後20世紀末まで半世紀近く[[冷戦]]という対立抗争を繰り広げた。

この大戦によって枢軸国として戦った三国は自立して自国防衛が可能な国家ではなくなり列強ではなくなった。主要連合国はアメリカに倣い核兵器の開発・製造を急ぐこととなる。国内の対立を対日という同一目標により抑えていた中国は再び内戦状態（[[国共内戦]]）となった。

== 大戦による領土の変化及び関連の諸問題 ==
=== ドイツ ===
==== 領土の喪失 ====
* 第一次世界大戦後も領有していた東プロイセンや、ナチス政権により回復された[[ダンツィヒ]]や[[ポーランド回廊]]など、[[オーデル・ナイセ線]]以東の広大なドイツ領を喪失した。
* ナチス政権が[[ミュンヘン会談]]によりチェコスロバキアから獲得していたドイツ人居住地域の[[ズデーテン地方]]はチェコスロバキアに返還された。
* これらの地域からドイツ人は追放され、大量の避難民が移動する中で多くの死者が発生した。
* この他、大戦中にドイツが併合した地域（その多くが第一次世界大戦までの旧ドイツ帝国領）は、フランス（[[アルザス地域圏|アルザス]]・[[ロレーヌ地域圏|ロレーヌ]]）・デンマーク（[[シュレスウィヒ]]・[[ホルスタイン]]）・ベルギー・ルクセンブルクの諸国にそれぞれ返還された。
* 西部の[[ザールラント州|ザールラント]]は自由州として分離され、フランスの管理下に置かれた。その後、1957年に人民投票で西ドイツに復帰した。
* ナチス政権が併合したオーストリアはドイツの被占領地域から分離され、1955年のオーストリア国家条約でドイツとの合併は永久に禁止された。

==== 東西分割 ====
* 前記の境界変更を行った上で、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4ヵ国によりドイツ全土の分割統治が始まり、中央政府は消滅した。
* ドイツ東部のソ連占領地域内にある旧首都ベルリンについては、全土の分割とは別に改めて上記の4ヵ国により東西分割された（1990年に再統一）。やがて1948年には[[ベルリン封鎖]]が起こり、ソ連と他の3ヵ国の対立が激化した。
* 1948年にはソ連占領地域に[[ドイツ民主共和国]]（東ドイツ）が、1949年には他の3ヵ国の占領地域に[[ドイツ連邦共和国]]（西ドイツ）が成立して、民族分断が確定し、東西冷戦の最前線となった。

==== 賠償 ====
* ソ連は戦争により被った膨大な被害に対する賠償として、ドイツ東部における自国占領地帯で工業施設の解体・移送を行なった。このことが東ドイツの発展を阻害し東西ドイツの経済格差を生み出す要因となった。

===オーストリア===
* ドイツとは分断されて、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4ヵ国によりオーストリア全土が分割占領された。
* これとは別に、首都の[[ウィーン]]もドイツのベルリンと同じく上記の4ヵ国により分割占領された。
* ただし、ドイツとは異なり、ナチス政権による併合（合邦）により消滅していた中央政府が復活し、第二共和制が発足して、文民統治を維持した。
* その後、冷戦の激化にもかかわらずオーストリア政府は国家統一の維持に成功し、1955年の[[オーストリア国家条約]]により主権を回復した（[[永世中立国]]宣言、ドイツとの合邦を永久に禁止）。

=== イタリア ===
* 第一次世界大戦で獲得した「未回収のイタリア」のうち、[[トリエステ]]は国連管理下の[[自由市]]となった。
* その後、1954年にトリエステ自由市の半分以上を占めるイストリア半島を[[ユーゴスラビア]]（現在は[[スロベニア]]と[[クロアチア]]－この時にリエカ（フィウメ）を獲得－）に割譲し、トリエステ市を含む北西部がイタリアに復帰した。
* [[エーゲ海]]東部のドデカネーズ諸島を[[ギリシア]]に割譲した。
* 参戦前の1939年に宣言した[[アルバニア]]併合が無効とされ、アルバニアの独立が完全に回復された。
* 戦争中にイギリス軍に占領されたトリポリ、キレナイカ（共に現在の[[リビア]]）、ソマリランド（現在の[[ソマリア]]）等のアフリカ植民地を放棄し、これらの地域はイギリスの委任統治領になった。

=== ソビエト ===
* ドイツ・ポーランド・チェコスロバキアからそれぞれ領土を獲得し、西方へ大きく領土を拡大した。
* 開戦前に併合したエストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国への支配、ルーマニアから獲得したベッサラビア（現在のモルドバ）の領有を復活させた。
* 日本領の[[南樺太]]（[[サハリン]]南部）・[[千島列島]]・[[色丹島]]・[[歯舞諸島]]を占領し、併合を宣言した。なお、これに対して日本は公的には認めておらず、[[択捉島]]、[[国後島]]、色丹島、歯舞諸島の[[北方領土]]については日本の領有を主張し、南樺太と[[得撫島]]（ウルップ島）以北については帰属未確定としている。（詳細は該当項目を参照）
* 日本が旧満州に持っていた各種権益のうち、関東州の[[旅順]]・[[大連]]の両港租借権や旧[[東清鉄道]]（[[南満州鉄道]]の一部）の管理権の継承を中華民国に認めさせた。これは中華人民共和国の成立後、1955年まで続いた。

=== ポーランド ===
* 1939年にソ連に占領された東部地域は回復されず、そのままソ連領（現在はリトアニア、ベラルーシ、ウクライナ）に編入された。
* その代償として、ポーランド回廊をドイツから回復した上、[[オドラ川]]（オーデル川）及び[[ニセ川]]（ナイセ川）以東の旧ドイツ領やダンツィヒ自由市（現在の[[グダニスク]]）を併合し、ポーランド領土は大きく西方へ移動した。
* その後、この新たなドイツ＝ポーランド国境（[[オーデル・ナイセ線]]）の承認が、戦後に成立した西ドイツ政府の大きな政治課題となった。

=== チェコスロバキア ===
* ナチス・ドイツにより解体状態だった国家が再建され、ズデーテン地方も回復した。なお、この際に起こったドイツ人住民の集団追放はその後の西ドイツとの関係に影を落とした。
* ドイツの保護国だったスロバキアはチェコと一体となった共和国に復帰した。ハンガリーに奪われた南部の領土は回復したが、一部はソビエト領（現在のウクライナ）として併合された。

=== ハンガリー ===
* 第一次世界大戦後に失ったチェコスロバキア（[[ブラチスラヴァ|ブラチスラバ]]を含む）やユーゴスラビア（現在の[[セルビア]]の[[ボイボディナ自治州]]など）のハンガリー人居住地域を併合したが、敗戦により無効とされ、第一次大戦後の国境線まで後退した。

=== ユーゴスラビア ===
* 戦争中にハンガリーへ割譲した北部地域を回復した。
* 第一次世界大戦後にイタリアに併合されていたリエカ（フィウメ）やイストリア半島を占領し、国連管理のトリエステ自由市を経て1954年に正式に併合した。

=== 日本 ===
* [[日清戦争]]以後に獲得した海外領土を全て失う事となり、[[関東州]]租借地を中国に返還し、事実上の保護国であった満州国の領土も中国に復帰した。
* [[朝鮮半島]]における主権を放棄し、アメリカ・ソビエト両軍による分割占領状態になった。これが1948年以降の南北分断、そして1950年の[[朝鮮戦争]]につながっていく。
* [[台湾]]・[[澎湖諸島]]における領有権を放棄し、中国（中華民国）による統治が開始された。
* [[委任統治]]後に併合を宣言していた[[南洋諸島]]を放棄し、アメリカによる[[信託統治]]に移行した。
* 南[[樺太]]・[[千島列島]]の領有権を放棄し、ソビエトによる統治が開始された。ただし、日本政府は法的にはこの地域の帰属を未確定と主張している。
* ただし、日本政府は千島列島南部の[[国後島]]・[[択捉島]]について、[[日露和親条約]]により平和的手段で領有が確定していた固有の領土と主張し、北海道の属島である[[歯舞諸島]]・[[色丹島]]とともに支配を続けるソビエトに対して返還を強く求める事になった（[[北方領土]]問題）。
* [[沖縄戦]]によりアメリカ軍に占領されていた[[沖縄島]]をはじめとする[[琉球諸島]]（[[大東島]]・[[沖大東島]]を含む）や[[先島諸島]]（[[尖閣諸島]]を含む）は日本の潜在的主権を維持したままアメリカ軍政下に入り、現地民を軍が支配する体制を取った。一時は[[奄美諸島]]もこの支配下に入ったが、1972年までに全ての地域が日本に復帰した。
* [[小笠原諸島]]・[[火山列島]]・[[南鳥島]]・[[沖ノ鳥島]]もアメリカの施政権下に入った。これらの地域では一部の欧米系住民以外の民間人居住を認めなかったが、1968年に日本に復帰した。
* [[戦時賠償]]については、[[日本国との平和条約]]以後国家間での賠償が進められた。
* この他、[[シベリア抑留]]（戦争末期の満州を巡る戦いで捕虜とされた日本兵が長くシベリアに抑留され、労働に従事した）・[[残留孤児]]・[[残留婦人]]・[[戦犯]]（[[A級戦犯]]だけでなく、B級C級戦犯が日本以外の各地で処刑された）、基地（沖縄を始めとする各地に米軍の基地が存在しており、返還が議論されている）等の問題が残っている。

=== 中国（中華民国） ===
* 日本が中国から租借していた[[関東州]]を全て回収し、崩壊した[[満州国]]に代わり満州全土での主権を回復した。
* ただし、ソビエトの要請により、旅順・大連両港や旧東清鉄道の租借権が改めて貸与された。
* フランスから[[広州湾租借地]]の返還を受けたが、イギリス領や同国租借地から成る[[香港]]はイギリス支配に復帰した。
* [[日清戦争]]で失った[[台湾]]を日本から回復した。ただし、他の大陸内の租借地と異なり、台湾では既に中国大陸と異なる住民意識が醸成されていたため、急速な中国化・非日本化政策を進める新たな支配者との緊張関係が高まり、1947年に[[二・二八事件]]が発生した。更に、1949年には大陸での[[国共内戦]]に敗れた中華民国政府が台湾に逃れた。
* なお、この時点では、アメリカ軍政下に入った琉球の尖閣諸島に対する領有権の主張は行われていない。

=== 東南アジアの諸地域 ===
* 日本軍から名目的な独立が与えられていたベトナムでは、日本の降伏直後に[[ホー・チ・ミン]]が[[ベトナム民主共和国]]の独立を宣言し、植民地支配の復活を狙うフランスとの間に[[第一次インドシナ戦争]]が起こった。
* 旧蘭領東インドでは、日本の軍政に協力していた独立派が日本の降伏直後に[[スカルノ]]を大統領とする[[インドネシア]]共和国の独立を宣言し、オランダとの独立戦争に突入した。
* [[フィリピン]]では日本の占領下において独立をはたしたが、形式的なものであり、戦前にアメリカが計画していた完全独立のタイムスケジュールが復活し、1946年に独立を果たした。
* [[タイ王国|タイ]]は日本と協力して参戦していたが、戦後は枢軸国側での参戦は日本の軍事的圧力によるものと主張し、敗戦国としての扱いを免れた。

== 大戦に新たに登場した兵器 ==
電子兵器（[[レーダー]]、[[近接信管]]）、[[ミサイル]]、[[ジェット機]]、[[核兵器]]が新たに登場した。電子兵器を除く3つは戦争の後期に登場したこともあって戦局に大きな影響を与えることはなかったがレーダーは戦争初期から登場し、その優劣が戦局を大きく左右した。又、暗号解読と弾道計算のために初期の[[コンピュータ]]が生み出された。

==大戦と民衆==
第一次世界大戦に始まった[[国家総力戦]]により、それまで以上に戦争とかかわることとなった民衆であるが、第二次世界大戦では戦場の拡大による市街地戦闘の増大、航空機の[[戦略爆撃]]による被害者としての側面とともに、侵略者へ[[パルチザン部隊|パルチザン]]・[[レジスタンス]]として[[ゲリラ]]的に蜂起し、戦争当事者ともなっていた側面も見逃すことが出来ない。又、動員期間が長くなることによって婦女子の産業及び軍事への進出が第一次世界大戦時よりも更に進んだことも忘れてはならない。このことが参政権を含む権利獲得に大きな役割を果たした。

==ホロコーストとナチスに関する扱い==

==戦後と植民地解放==
枢軸国の占領により連合国によって植民地とされていた各地が宗主国から切り離されたことはその後の独立運動にとって大きな意味があった。この戦争における領土問題にならなかったアフリカの独立運動がアジア地域から遅れたことはこの戦争と不可欠ではない。

